映画レビュー「い」


<頭文字D THE MOVIE>
 韓国の実写版(実車版)のイニシャルD。大人気の走り屋コミックの映画化だ。
あの「インファナル・アフェア」のスタッフが作るなら、失敗するどころか大成功すると想像できることだろう。だって、日本じゃ「湾岸ミッドナイト」みたいに実写化されたら、Vシネマになっちゃう。いまいち消化しきれない出来栄えになるのは明白でしょう。
 そのストーリー。
家業のとうふ屋の配達を手伝ううちに、峠の走行テクニックを身につけてしまった青年が、やがて峠のライバルたちと出会い、競争することで目覚めていく物語。個人的にも、クルマと青春恋愛ストーリーをうまく成立させた大好きな作品。
 さて、大人気のコミック「イニシャルD」だが、原作やフルCGのバトルシーン(競争のこと)が観られるアニメを熱狂的に支持する人には、今回ちょっと評判が悪いかな?
その理由は「原作とキャラが違う」とか「バトルシーンが本物のレーシングテクニックと違う」というもの。私は娯楽作品として、どちらも良い味が出ていると思うのだが、そうやって素直に一つの作品を楽しめない人達は、たとえどんなに韓国版がオリジナル版に近づこうが、また別の理由を見つけるだろうから放置しておく。
クルマやガン・アクションのように道具を扱う作品は、マニアほどこうした罠に陥りやすいね。

 それにしてもさー、黒いエボV乗りの須藤京一の役って「原作そのまんま」の人物でビックリしたよね。なんか背中に「秩序」って書いてあるけど(笑)。
 赤城山へ走りに行くと、この作品に影響されたのか知らんが、よく頭に白いタオル巻いてる走り屋を沢山見かけるようになったよなー…。


(おや、そんなところに白タオルを巻いた180SX乗りを発見。)
ジャッキ持ってますか?といわれ、自分で持って来いヨと思いなら貸してあげる。そして気になる質問をしてみた。
「すいません、あのー。どうしてアタマにタオル巻いてるんですか?」
「うるっせぇなぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 うひー!!

(これらはすべてフィクションです、公道では安全運転を心がけましょう!)


<イノセンス>
 ちょっと紹介されて観たらすごいアニメだった。なんだかよく分からないが、日本が世界に誇るアニメだと思う。「甲殻機動隊」のシリーズらしいので、確かにこれだけ観てもワケワカランな。 内容は愛玩用少女ロボが突然、持ち主に反乱を起こして惨殺するという事件があり、それをシブイ電脳刑事のペアが調査していくもの。バトーという主人公の男は、脳以外は機械のサイボーグだ。
いつも心の片隅に残るのは一人の女の面影。ロボコップみたい。

 熱狂的ファンの方にサントラを聴かされたが、あの伝統民謡っぽい吟遊詩人たちの声は、歌えば歌うほど声が出るようになるのだとか。普通は声が枯れてしまうのに。いやー神秘のパワーですな。

 DVDが手に入ったので、改めて追記。
人形はなぜヒトに似せて作られているのでしょうか?
ロボットが自我に目覚めて人間に反逆する設定は、アイザック・アシモフの古典SF「アイ・ロボット」や、過去にもリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」がありました。これらの作品を通して伝えたいことは、自分の寿命を知った人形が死の恐怖に怯えたり、死から逃れるために反逆したりして、「命の尊さ」とはを考えることでしょう。私はこの作品と並んで、ブレードランナーが大好きです。
(どんな映画も好きだけど…)


<イージー・ライダー>
 ヒッピー、マリファナ、ベトナム戦争など、60年代のアメリカを象徴する映画。当時のロックの名曲が延々と流れる中で作品は語られる。主人公達はドラッグで稼いだ金を大型バイクのタンクに隠し、自由を求めて放浪の旅に出るが、そこにあるのはよそ者に対して閉鎖的なアメリカ社会であった。「人は自由を叫ぶが、本当に自由な人を許せない」というセリフがとても印象に残りました。 サントラは超オススメ。
 そういえば、「ブルース・ブラザーズ」の続編のメイキング映像で、ある人が「オリジナルにこだわる人は、ヒッピーが60年代に固執するようなもんだ」と答えていたっけ。
 ヒッピーとは、もしかしたら自らの価値観に固執するあまり、社会とうまく適合できない人種なのかもしれないと思った。あんな閉鎖的な集団を「自由の申し子」と呼ぶのだとしたら、コミュニティーの中では真の心の充足は得られないのではないかと思ってします。


<E.T>
 あまりに有名なスピルバーグによる異性人との友情物語。
少年たちがETを捕まえようとする悪い大人たちから逃げると、そこにお約束のような崖が!絶体絶命の瞬間、大音響でチャーラーラララララー♪
…と、音楽が鳴り響き自転車が宙に浮かぶのはあまりにも有名なシーン。でも私がレビューするほどでもない映画。
むしろ、こんな気持ち悪い宇宙人がいたら、私は真っ先に退治するだろう(笑)。
私は子供の頃に観た、この「ET、おうち、でんわ〜」のシーンがトラウマになっているせいかもしれない…。

 「グーニーズ」や「僕らの七日間戦争」のように、現在は身勝手な大人たちがただの「悪い存在」ではなくなってしまい、「純粋な子供達」が可愛いイタズラで一泡吹かせるというのも昔の話になってしまった。
 いまの世の中は、マスコミに洗脳されて本当に大人も子供もワケのわからない殺伐とした人間社会となってしまったから、そういう意味では「バトルロワイアル」の方が案外リアルな作品であると考える。「ET」は愛のある作品だけど。



<狗神>
 四国の山奥にある呪われた豪傑一族の末路を描く物語。古い日本の閉鎖的、かつ排他的な風習がイヤなほどよく描写されている。しかし作品のテーマは他所からやってきた若い男教師と、呪われた一族の末裔の女との愛である。先ほど日本の閉塞的な習慣について批判したが、その一方で美しい方言や里山の自然も残されているので、かなり貴重な文化遺産的な映画ではなかろうか。 少しホラー、愛とエロス。
あからさまなびっくり系ホラー映画なんかよりも、かえって原始的な村の儀式とかを淡々と描いたほうが怖いと思った。小皿に鶏の血を注いで酌み交わしたり…。
 天海祐希の演じる女は、教師と出会うことによって、老婆から次第に若さを取り戻していきます。物語はこの女が秘めた力に村人たちが恐れを持ったとき、やがて呪われた一族への迫害が起こり、彼らの持つ妖しい力が、村へ次々に悲惨な出来事を起していくのです。やっぱり怖いよ。



<インデペンデンス・デイ>
 宇宙戦争な映画。何気にアメリカの風俗がよく映されていて良い。様々な戦闘機や近代兵器が登場し目にも鮮やか(挙句には核兵器なんて代物も使っちゃうもんね〜)。しかも、大統領本人まで第一線で闘うなんて、まさにノブレス・オブリージュ!(位高ければ務め多し)な展開である。
 アチラでは、トレーラーハウスに住んでいる人が多いようだけど、彼らはまともな家に住めないいわゆる低所得者である。日本から見たらのん気に「キャンピングカーみたいで楽しそう!」って思うけれど、実際は狭いし夏は熱いし冬は寒い、バラックのような代物なのだろう。「ミリオン・ダラー・ベイビー」にもそんな現実を教えてくれるシーンがあって、この世の中には下流社会という痛々しい現実があるのを思い出した。
 そんなことを考えていたら、まさに今アメリカで「サブ・プライム・ローン」の問題が発生して、日本も不況に陥っている。これを簡単に説明すると、借金返済の見込みもない低所得者に大量の住宅ローンを組ませたら、お金を回収できなくてコケてしまったというもの。日本の大手ゼネコンや建設業がブッ潰れたのも同じだ。投資家や企業間で大きな金が動いていても、その実態は紙に書かれた数字でしかないのだから、おかしくなるのは当然のことだ。

 この作品に関して言えば、大統領の奥さんは死ななくても良かったと思う。強引にしてでもハッピーエンドが似合う唯一のハリウッド作品ではないかな?
ホワイトハウスを爆破しちゃったりするシーンは何かを暗示しているのだろうか?
(Mr.ビーンには陛下の首チョッパーというシーンまであったけれど…)
それはともかく、このシーンは「オースティン・パワーズ」で勝手にコメディーに使われていて、お見事であった。この爆破を担当したのは爆破のジョーと呼ばれる人で、ホワイトハウスのミニチュア模型には、中の椅子にまで火薬を仕掛けたという、超こだわりの発破野郎だ。

 当時は大ヒットした作品だが、映画初心者にはあまり期待させちゃいけない。
どの作品にも当てはまるが、何の先入観もなく観た方が映画の感動は味わえるのである。過度な期待をすれば、逆にああそう…となってしまう。
 だから私は、前評判の良い作品にはかなり慎重に構えてしまう。絶対にその場では観ない。これは、私が知らず知らずのうちに身に着けた、映画を観る上での処世術である。



<インファナル・アフェア>
 これは韓国映画の誇る一大叙事詩です。
 物語はマフィアに潜入した警察官ヤンと、警察官に侵入したマフィアのラウ、二人の運命を交錯させて描くもの。シリーズ3部作。演技はどれも抜群だ。
1999年の「シュリ」以来、どうも本気で素晴らしいと思える韓国映画がみつからないなーと思う方は是非ご覧あれ。
 精神科医のリー先生役は、大好きなケリー・チャンだ。
さて、本作品の内容は上記のとおりなのですが、あとは観る側の反応次第だろうとしかいえません。
 この第一部だけでも十分に素晴らしい作品だけれども、優れた作品ゆえにもっと二人の主人公の過去を知りたくなります。その青年時代を描いたのが、インファナル・アフェアU 無間序曲です。

 原題は「無間道」です。この意味は、あとでよくわかるでしょう。
善人としての道を選ぶか、悪人としての道を選ぶのか、人はどちらかしか選べない。選択するのは自分ですが、その選択が後の人生を決めてしまうというのが、まず一つのテーマです。
 そして、もう一つは「因果応報」です。
人生で選択したことが、将来どのように作用しても人は運命に抗いがたし。
仏教の摂理でいうところの、無間地獄に陥ることになるのです。誰が地獄を見るのか?それは悪人として足を踏み入れた人間です…。

 重要なのは、ここではまだ人生を選べるということでしょう。
でも人生は選べるのだろうか。運命があるかぎり、人はそれから逃れられないのではないか。そんな問いは、第二作目でわかります。


<インファナル・アフェアU 無間序曲>
 シリーズ2作目は、ラウとヤンが警察学校時代に入る過程と、それから起こる壮絶なマフィアの抗争や警察との対立を描くことで、登場人物が悲劇的な運命から抜け出せなくなった理由がわかります。
いやー、めちゃくちゃ感激しました。このシリーズはどれをみても無駄なシーンがひとつもなく、それぞれが完成したシナリオでした。
 私は最後にUを観たのですが、知られていなかった謎がもっと明らかになりました。ラウが愛したあの「シェイシェ〜イ♪」って曲の謎。マリーという名の女。ヤンの不幸な出生と、運命の選択。サムが韓国マフィアの大親分になったいきさつ。ぜーんぶわかりました!
 物語は、ただの過去描写ではなく、「こんな展開になってしまうのかー!」と手に汗握ります。かなり画面に近づいてしまいました。こりゃ本当に「仁義なき戦い」ですよ。Uはハードボイルドだね。 マフィアのファミリーと、血なまぐさい抗争を描いた「ゴッドファーザー」を古典の名作だとしたら、こちらはさらに洗練させてテンポ良くした現代活劇だと思いました。「優れた映画は文学に匹敵するナ…」とつくづく実感しましたね。

 そうそう、このシリーズは音楽も素晴らしいですね。特にUは、都会の裏社会を迷宮入りしてゆくような、アラビア風の音楽が印象的でした。ヤクザ映画に凄みを効かせています。 迷宮のイメージは「レオン」でもそうでしたし、「ブラックホーク・ダウン」でも民族音楽のテクノ・アレンジが不気味でしたねぇ〜。Uを観終わった後、つづけてVの劇場予告を見ると、もうオーケストレーションの音楽で泣いてしまいそうになりました。


<インファナル・アフェアV 終極無間>
 シリーズ2作目で、ラウとヤンのバックグラウンドを描きました。シリーズ3作目ではヤンの死後、善人としての道を選んだラウの葛藤と、ヤンの死の真相を知る者の影が近づいてきます。
 シリーズ1作目ではわからなかった謎が、これですべて明らかになります。
私はこの作品をもっと知りたいと思って、何度も観ました。
まれに「一度観ただけではわからない・・・」という触れ込みのCM作品がありますが、そんなものはただの不親切だと思います。ともかく、インファナル・アフェアはシリーズの単体どれでも完成度が高く、また関連性を知ることで理解を深めることができる秀作です。

 ヤンは故人であって、回想というかたちで登場してくるけれど、第一作の直前も同時に描いている今回は、生き生きしたヤンの姿を知ることができます。
ケリー・チャンの演じるリー先生も、物語には外せない人物で、活躍を楽しみました。脚本が優れているので、どのキャラクターも脇役で終わらないのことが本作シリーズの魅力です。
 さて、一方ラウはというと。善人として生きるために、警察に潜むマフィアを陰で処刑していました。しかし、とうとう残り少なくなったマフィアの正体は、エリート警官ヨンがあやしいと考えられる。冷静で、自分の成功のためには手段も選ばないヨンは悪党にも見えます。大物麻薬商人とも関わりがあることが発覚するが、ラウもあせって自分を見失っていきます…。
 そして衝撃のラストが待っていて、以前書いたような本作品のテーマが、再び意味をもってくるのです。

ここまでシリーズ作品が意味をもって成功した例は、ほかにあまり見受けられないでしょう。羊たちの沈黙で始まる「ハンニバル」も、その独自性を認めながら、ここまでの関連密度はみられない。まぁ、単純比較はできませんが。

 私がDVDを手に入れた都合で、まずTとVを交互に観たのですが、どの順番に見ても消化できると思います。久しぶりに骨のある作品にめぐり合えて、私は非常に満足しています。


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