映画レビュー「に」


<ニキータ>
 リュック・ベッソン監督の作品にしては、あまり話題にならないのはなぜだろう。
私はその理由をよく考えるのですが、たぶん多くの人は「レオン」しか知らないというか、注目しないからなのでしょう。他にもあるにはあるんだけど、スタジオジブリの作品が「ナウシカ」あたりしか注目されないようなものだと思う。

 不良娘のニキータはドラッグや強盗など荒れに荒れていたが、その結果として社会的に抹殺されることになる。で、本当は死んだことになっているのだが、実は秘密組織に更生されて暗殺者として訓練され、第二の人生を歩むのだが、どちらもニキータにとっては悲劇的というお話し。プライベートで恋人もできるが、常に秘密を持ち続けなければいけないし、彼女は他人に心が開けないのである。彼女を見ているとまるで野良猫のようだ。

 この作品のリメイク版で、ブリジッド・フォンダ主演の「アサシン」という映画もある。スタッフが違い、演出も違うのだが、どちらも違う味があって楽しめる。でも一度見ただけでは消化しきれないのはどちらも同じかな?「ニキータ」はなぜか心に暗い影となって印象に残る映画なので、それが何度も何度も意識の中で反芻されて、いつか改めて観るとようやく本作品の影を捉えることができる、ような気がする。


<二十四の瞳>
 日本の文学でも、映画作品としても感動して泣けてしまうのは壺井栄さんの原作「二十四の瞳」である。かなり昔の、白黒映画である。
一部映像や音声に乱れがございますか?いや、ぜんぜん気にならないです。
それどころか、冒頭の出演者の名が表示されながら、いたいけな子供たちが歌っている「仰げば尊し」が流れてきただけで、なぜか無性に泣けます。(笑)いや、これホント。
 タイトルからわかるように、本作品は十二人の子供が登場します。
「瀬戸内少年野球団」みたいな離島で生活する人たちを想像してください。
ある日、島の学校に本土から女教師が赴任してきます。それが、女のくせにスカートというものを穿き、さらに自転車などというハイカラな乗り物に乗っている人なのである。(昭和初期という時代背景を想像してください)
 その担任は大石先生といいます。児童たちは先生を慕っていたのですが、あるときいたずらで掘った落とし穴に落として、大石先生にケガをさせてしまいます。泣く泣く先生は本土に戻ることになってしまいますが、大きくなった子供たちは本土の中学校で先生と再会するのでした。(でも、いまと違って貧しくて学校に行けなかった子供もいるのです…)
 喜びはつかの間、時代は第二次世界大戦へと突入してゆきます。
本作品は、いつも子供たちの合唱が流れていますが、音楽の教科書に載っている歌が次第に軍事色を帯びてくるのがわかるでしょう。でも私は「若鷲の歌」はカッコイイので好きです。叙情的なメロディーはどんな音楽でも好き。
 http://jp.youtube.com/watch?v=sSp_BrnJ7rY
(ちなみに私のじー様は予科練志望だ。霞ヶ浦から飛びたつ前日に終戦。)

 さて、子供たちの卒業と同時に、結婚して退職した大石先生。
戦争で夫を失った。あれから教え子たちはどうしてしまったのか。
終戦後かつての教え子の呼びかけで、消息のわかる者同士が再会しますが、何人かは戦死をしていたり、それぞれ不幸な境遇にあっているのでした。
 教壇に復活した大石先生は、かつての教え子の子供たちを受け持つことになりました。名簿の返事をする子供たちの声で号泣する先生。すっかり泣き虫先生とあだ名がついてしまいます。でもそんな子供たちの顔を見て、大石先生は「この瞳を汚しちゃいけない」と決心します。名作です。

右とか左とか関係ありません、政治的な批評はこの際ほうっておきましょう。
男なら、まっすぐ前を見て歩けってね。


<2001年宇宙の旅>
 こりゃすごい映像だ!スタンリー・キューブリック監督はいつもすごいものを見せてくれましたけど。中でもこれはすごい。
キューブリック作品はいろんな意味で、すごい。それは、ひょっとしたら「こんなものを映像にしちゃったことが、スゴイ…(笑)」っていう意味かもしれないが。 でも、映画史上で彼の発表する作品はどれも異色であり、記念碑的でもある。B級といっていいのか、名作といっていいのかよくわからん作品群だ。
 さて、この有名な作品はどうか。私は衝撃を受けたねぇー。。。
まず人類発祥から始まります。原野に猿がいっぱいいる。群れで生活していて、夜は猛獣に襲われる世界。ずーっとその様子を観察しているんです。
やがて霊長類に“何か”が作用して、あるとき一匹の猿が、動物の骨を拾ってみる。ペチペチ、といじっているうちに、なんかハジケることがわかって、だんだん強く叩いてみる。そして渾身の力を込めて、手にした“道具”を振り下ろす!
スローモーションで動物の頭蓋骨が粉砕されて、このカバのような四足動物がブルンと震えて倒れこむ映像がラップして、音楽はツェラツゥストラが流れるシーンでブッたまげたね〜!これは人類が始めて知恵を持ったのか、あるいは武器を持ったのか。隠れていた凶暴性が露呈した瞬間なのか!?
この象徴的なシーンが、まさに人類の歴史のはじまりそのものであるナ。

 時は流れて2001年。映画を作成した当時から見れば、そう遠くないけれど近くはない未来。人類は宇宙船に乗って、宇宙旅行をする時代。
この宇宙船には、HAL(ハル)と呼ばれる人工知能のコンピュータが搭載されており、あるとき「人間のように考えて」行動します。つまり、人間に不信感を抱き反乱する。安全装置や生命維持装置など淡々とシャットダウンされる恐怖があります。
 宇宙船の様子は、当時の各分野の専門家が検証を重ねてリアルに想像されたものです。TV電話などは実用化されていますね。ただし、いまと決定的に違うのは操縦席のスイッチである。ボタンがいっぱいついているのは、PCを操作するマウスというものがなかったからだそうです。(マウスの操作をさらに進化させたSF映画は「マイノリティ・リポート」に見られますよ)
 人工知能の分野は研究が進んでいますが実用化される兆しがありません。その理由は、コンピュータ発祥の段階から、そのしくみに人工知能が想定されていなかったからだといいます。そうか、それじゃ人間の脳みたいにニューロンとかシナプスみたいな電子回路を作らないとダメなのか?
この分野は、私のクラシック音楽の先生が研究していたようだから、ぜひ解明してもらおう。(でもその前に、先生の「クラシック音楽の歴史の闇」の仮説を、私がHP上で発表しなくてはイカンが…)

 で、その反対に殺されそうになったロボットは人間みたいな命乞いするだろうね。ロボットの反乱というSF古典は、アイザック・アシモフ原作の「アイ・ロボット」からありましたが、「アイツは危険と判断する知能」と「恐怖の感情」ってのは、どこが境目なんだろうと考えさせてくれる作品でした。ラストのほうは、もうわけがわからんけど、こうなったら映像の力に圧倒されつくして、ただ「スゲー…と」観るしかない。


<ニュー・シネマ・パラダイス>
 傑作も傑作、これは映画史の中に残る大傑作である!!いちおうカットされているけれども、私が観るのは完全版じゃない通常版の方ね。
誰もが一度は踏む青年期の挫折、人生のやるせなさ、それでも蘇る記憶はいつも少年時代のキラキラした思い出なのさ〜♪
 イタリアのある田舎町は皆貧しい労働者ばかりの町であったが、その唯一の娯楽といえば「パラダイス座」で放映される大衆映画だけであった。
主人公の少年トトは、投影フィルムの機械を動かしてみたい興味にかられるのだが、撮影技師の老人はなかなか許してくれない。そんなことから、いつの間にか少年と老人の温かい交流が生まれるのだが、人生は流転するものなのだ。
時が流れていく中で、パラダイス座にも青年トトの恋心にも、急激に変貌していく町や人にも、いろいろあったのだが、何かのきっかけでいつも思い出すのは、少年の頃に夢見た美しい映画の中のような世界なのである。
 これを観れば、あなたはきっと映画が大好きになること間違いないでしょう。

私は完全版の是非はまだわからないけれど、いつかきっと観てしまうのだろう。
「思い出は美しいまま完結させておきたい」気持ちは、本当にある。
けれども、完全版によってしか得られないものがあるだろう。それが問題だ。
もしかしたら、傷跡をえぐられるみたいで、俺は後悔するかもしれない。
でも、後悔してもやっぱり納得のできる人生でいたいナと、最近よく考えている。


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